- プエルトリコって野球が強い国ですか?
- プエルトリコの野球が強い理由が知りたい
- プエルトリコ出身の有名な野球選手が知りたい
このような疑問を解決します。
結論から言うと、プエルトリコは多くのメジャーリーガーを排出している野球強豪国です。
国際大会、特にWBCに出場すれば優勝候補の一角であることは間違いありません。
本記事を読めば、プエルトリコの野球が強い理由、プエルトリコ出身の有名選手などプエルトリコの野球について網羅的に知ることができます。
それでは、本題に入ります。
プエルトリコの野球が強い理由
プエルトリコの野球が強い理由は以下のとおりです。
- アメリカの自治領
- ラテンアメリカ特有の身体能力
- ウインターリーグの充実
- 貧困
アメリカの自治領
プエルトリコは、独立した国家ではなくアメリカの自治領です。
自治領の説明は難しいのですが、野球に関する情報だけまとめると、アメリカの市民でメジャーリーグのドラフト対象になります。
ドミニカやキューバ、ベネズエラなどはメジャーリーグのドラフトの対象にはなりません。
違う方法でメジャー球団に入団します。
メジャーリーグのドラフトについては【保存版】メジャーリーグ(MLB)のドラフトの仕組みを分かりやすく解説でまとめています。
また自治領ですが、スポーツの世界では独立国扱いされているので、WBCやオリンピックなどの国際大会は参加が認められています。
話がそれましたが、ビザの心配がなくアメリカ人としてプレーできるため、プエルトリコ人は有利と言われています。
ちなみにアメリカのプロ野球(MLBや独立リーグなど)では外国人枠はありませんが、各球団に振り分けられるビザの枠に上限があるため、実質プレーする外国人選手は限られます。
ラテンアメリカ特有の身体能力
プエルトリコの野球選手には、中南米選手特有の身体能力の高さが備わっています。
プエルトリコだけに限りませんが、とんでもない送球を投げたり、悪い体勢からアウトにしたり、日本人では不可能と言われるような身体能力を持っています。
身体能力が高い理由は才能なのか、指導なのか分かりませんが中南米特有の身体能力を持っているのは事実です。
ウインターリーグの充実
カリブ海地域のウインターリーグのチャンピオンを決めるカリビアンシリーズが1949年から開始されると、プエルトリコも参加。
以来、ドミニカに次ぐ16回の優勝を誇っています。
このウインターリーグが充実していることで、プエルトリコの野球が強い要因の一つになっています。
ウインターリーグは、ざっくり冬に行われる野球のリーグで以前は、メジャーリーガーなども参加していました。
しかし、現在のプエルトリコのウインターリーグは月給7500ドル程度ど言われ、メジャーリーガーが参加することはほとんどないようです。
したがって、メジャーリーグで解雇された選手やレベルの高いドミニカのウインターリーグからも解雇された選手など行き場をなくした選手たちの最後の砦になっています。
また若い有望な選手はMLBドラフトで指名され、本土に渡っていきます。
成功した選手は、オフの間もプエルトリコに帰らずフロリダの別荘などで暮らしています。
貧困
ラテン・アメリカの多くの国は貧困です。
プエルトリコもこれにもれず、貧しい国と言われています。
2017年には700億ドルの負債を抱え、自治体として破産申請をしています。
このように貧しい国で、貧困を脱する方法の一つに野球があります。
野球の他に、バスケットやボクシングも盛んと言われています。
このようなスポーツで成功することにより、貧困を脱することができます。
したがって、目の色を変えて野球に取り組みます。
このようなモチベーションやハングリー精神が、優秀な選手を多く排出する一つの要因となっています。
プエルトリコの野球の歴史
1897年にクラブチームによるウインターリーグが発足。
スペイン領時代の19世紀後半には、すでに野球が伝わっていたと考えられています。
1898年に起こった米西戦争の結果アメリカ領となると、野球はますます盛んになります。
ウインターリーグがセミプロ・リーグとして発足したのが1938年。
このリーグに参加したサンファン・セナ―ドスの監督を若干22歳で務めたピッチャーのヒラム・ビソンは、1944年にプエルトリコ人として初めてメジャーリーグのマウンドに立っています。
翌43年にはルイス・オルモがプエルトリコ人の野手としてブルックリン・ドジャースでデビュー。
プエルトリコのウインターリーグ最多の1206安打を記録しているルイス・マルケスがアフリカ系プエルトリコ人として初めてボストン・ブレーブスでメジャーデビューしています。
その後は、ウインター・リーグの充実により、ロベルト・クレメンテ、ウィリー・メイズ、ロベルト・アロマー、カルロス・バイエガ、バーニー・ウイリアムス、ホアン・ゴンザレス、エドガー・マルティネスなど数多くの有名選手を排出しています。
プエルトリコ出身の有名な野球選手
それではプエルトリコ出身で有名な野球選手を紹介していきます。
とは言え、かなりの数になるので超有名な選手に絞って紹介します。
- ロベルト・クレメンテ
- ウィリー・メイズ
- バーニー・ウイリアムス
- ロベルト・アロマー
- ホルヘ・ポサダ
- ホアン・ゴンザレス
- マイク・ローウェル
- イバン・ロドリゲス
- ヤディア―・モリ―ナ
- エドガー・マルティネス
- ルーベン・シエラ
- カルロス・ベルトラン
- カルロス・デルガド
- カルロス・バイエガ
- カルロス・コレア
- ハビアー・バイエズ
- フランシスコ・リンドーア
上げるときりがないくらい多くの選手がいます。
プエルトリコ出身で最も有名な選手と言えば、ロベルト・クレメンテでしょう。
メジャーリーグにおけるラテン系選手の先駆けで、多くの慈善活動にも積極的に関与。38歳で短い生涯を閉じていますが、殿堂入り。
人格者で慈善活動を精力的に行っているメジャーリーガーに送られる「ロベルト・クレメンテ賞」として制定されています。
ラテン系の選手は、この賞を目標に頑張る選手もいます。
それぐらい影響力のある選手になっています。
他にもロベルト・アロマー、エドガー・マルティネスなど殿堂入り選手も数人います。
とにかく多くの優秀な野球選手を排出している国です。
現役選手を見ると、フランシスコ・リンドーアやハビアー・バイエズ、カルロス・コレアなど打撃力と守備力を兼ね備えた内野手。
ここに記載していませんが、ロベルト・ペレス、ヤディア―・モリ―ナ、マーティン・マルドナード、ダルビッシュの相棒ビクター・カラティニなど優秀な捕手を多く排出しているのも特徴の国です。
NPB
NPBにも多くのプエルトリコ人が加入しています。
最近では、DeNAベイスターズのネフタリ・ソトが活躍しています。
古い選手ですと、大洋で活躍したポンセ。
日本ハムで活躍したクルーズなどが、プエルトリコ出身のプロ野球選手です。
プエルトリコの野球の成績
プエルトリコの過去の国際大会の成績も振り返りましょう。
WBC
- 2006年:2次ラウンド敗退
- 2009年:2次ラウンド敗退
- 2013年:準優勝
- 2017年:準優勝
オリンピック
- 1992年:5位
- 1996年:アメリカ予選敗退
- 2000年:アメリカ予選敗退
- 2004年:アメリカ予選敗退
- 2008年:アメリカ予選敗退
- 2021年:アメリカ予選敗退
WBSCプレミア12
2015年:8位
インターコンチネンタルカップ
- 1973年:準優勝
- 1989年:3位
ワールドカップ
- 1947年:準優勝
- 1948年:準優勝
- 1951年:優勝
- 1952年:3位
- 1965年:3位
- 1970年:3位
- 1973年:準優勝
- 1973年:3位
- 1976年:準優勝
パンアメリカ
- 優勝(2019)
- 準優勝(1959・1991)
- 3位(1967・1979・1987・1995)
【まとめ】プエルトリコの野球が強い理由
プエルトリコの野球が強い理由や、プエルトリコの野球について網羅的に解説しました。
プエルトリコの野球が強い理由は以下のとおりです。
- アメリカの自治領
- ラテンアメリカ特有の身体能力
- ウインターリーグの充実
- 貧困
オリンピックなどのメジャーリーガーが参加できない国際大会では、選手のレベルは下がるでしょう。
しかし、メジャーリーガーが参加可能なWBCでは、優勝候補の一角と言っても過言ではありません。
直近2回は準優勝2回の好成績。
国際大会の際は、参加するメンバーに注目して試合観戦しましょう。
それでは、本日はここまで。
【合わせて読みたい記事】
ドミニカの野球が強いのはなぜ?ランキングやアカデミーを紹介しながら解説