父親は3.11で帰らぬ人に…佐々木朗希の家族構成や経歴を紹介

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父親は3.11で帰らぬ人に…佐々木朗希の家族構成や経歴を紹介

2023年3月に開催されたWBC2023でも日本代表としてチームの優勝に大きく貢献し、所属する千葉ロッテマリーンズの一員としてもチームをクライマックスシリーズ進出へ導く活躍を見せた、日本の若きエースである佐々木郎希投手。

今回はその佐々木郎希投手の経歴や家族構成について迫っていきたいと思います。

佐々木郎希について

まずは野球ファンなら知らない人はいない佐々木郎希という選手について過去の経歴も踏まえてみていきたいと思います。

佐々木郎希は岩手県陸前高田市出身の21歳です。192cmある長身から繰り出される160km/hを超えるストレートと落差のあるフォークボールを武器に数多くの三振を奪っていく姿が非常に魅力的な選手です。その圧倒的な力から「令和の怪物」と呼ばれており、日本プロ野球史上最年少での完全試合達成など様々な記録を打ち立てています。

プロ入りまでの経歴について

佐々木郎希が野球を始めたのは小学校3年生の時で、兄の影響を受けて始めたといいます。しかし、その後東日本大震災によって転居・転校しなければならず、転居先の野球クラブに入部して野球をつづけました。

小学校を卒業し、大船渡市立第一中学校に進学後は軟式野球部に入部し2年生の秋からエースナンバーを背負っていました。しかし、けがが続き思うように投げられず3年生時には疲労骨折になってしまい、中総体出場は叶いませんでした。一方で秋に参加したオール気仙ではけがも癒えたことから活躍を見せて県選抜にも選出されました。選抜選手としてU15全国KWB野球秋季大会に出場し、その際に球速141km/hを記録しました。

中学卒業後は地元の県立大船渡高校へ入学し、1年生から試合に出場していました。3年春に行われた高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦にて球速163km/hを記録したといわれています。3年夏の県大会では4試合に登板し、うち3試合で完投して防御率0.62を記録しました。このような活躍を見せたことで「令和の怪物」と呼ばれていました。

プロ入り後について

大船渡高校卒業後はドラフト1位で千葉ロッテに入団しました。1年目はチームの方針で体作りをメインで行っており公式戦登板はせずに終わりました。2年目は一軍の試合に初登板し、結果的にシーズン通して3勝2敗の成績を残しました。3年目はオリックス戦で世界記録となる13者連続三振及び1試合19奪三振を記録し、史上最年少となる完全試合を達成しました。最終的にこのシーズンは9勝4敗、防御率2.02でシーズンを終え、日本代表にも選出されました。

佐々木朗希の父や家族構成について

続いて、佐々木郎希の家族構成についてみていきたいと思います。佐々木郎希は5人家族で父・母・兄・弟で構成されています。しかし、佐々木朗希 父は東日本大震災による津波の影響で37歳という若さで亡くなってしまいます。まだ幼かった佐々木郎希にとっては受け止めきれないほどショックな出来事だったかと思われます。母はその後、女手一つで佐々木郎希ら3人を仕事もしながら育て上げました。また、佐々木郎希が野球を始めるきっかけとなった兄は同じ大船渡高校野球部に属しており、当時4番打者を務めていたといいます。そして弟は現在大船渡高校に通っており、兄弟と同じように野球部にも所属していました。

このように佐々木郎希の家族はそれぞれが野球に携わっており、同じ高校の野球部として活躍してきたことがわかります。

最後に

今回は日本を代表するピッチャーの一人である佐々木郎希のこれまでの経歴や家族構成についてみていきました。今までも多くの記録を樹立してきた佐々木郎希が今後もどのような活躍を日本・世界で見せてくれるのか目が離せません。また、佐々木郎希 父を失った中で家族と支えあって頑張ってきたことを知るとより応援したくなりますね。

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