イケメン・能見篤史の子供は何人?自宅の場所や家族構成を調査

選手

イケメン・能見篤史の子供は何人?自宅の場所や家族構成を調査

3月に開幕して以降、各リーグで優勝に向けてより熱い戦いが繰り広げられている日本プロ野球。昨年リーグ優勝したオリックスバファローズと阪神タイガースが今シーズンも優勝できるかかなり注目が集まっています。

今回は大きな盛り上がりをみせている日本プロ野球の中でも、オリックスと阪神の両チームで活躍していた能見篤史にフォーカスを当て、これまでの経歴や家族について迫っていきます。

能見篤史について

まずは今回ピックアップする能見篤史の簡単なプロフィールをみていきます。

能見篤史は1979年5月28日生まれの45歳で兵庫県出身です。サウスポーのピッチャーでワインドアップして投げる姿がきれいで特徴的な選手の一人です。

2005年シーズンからプロ入りし、阪神タイガース、オリックスバファローズで活躍して2022年に現役を引退しました。

プロ入り前の経歴について

能見篤史が野球を始めたのは小学3年生の時で、地元の軟式野球チームに所属していました。その後スポーツで有名な鳥取城北高校へ進学後はチームのエースとして活躍し、3年春の県大会ではノーヒットノーランを達成しています。

高校時代は全国大会こそ出場していませんが、数多くの実績を残していたことから高校生左腕三羽ガラスと称されるほど注目されていました。

高校卒業後は社会人の大阪ガスへ進み、実力を磨きました。社会人になって数年は故障で全く投げられていませんでしたが2003年からは活躍を遂げて2004年のドラフト会議で阪神タイガースと契約しました。

プロ入り後の経歴について

阪神タイガース入団後は中継ぎからスタートし一軍に定着しました。主にリリーフとして4年間稼働したのち、チーム事情により2009年からは先発としてローテーションをまわりました。その後は怪我による故障などもありながらそれを乗り越えてレギュラーシーズンの開幕投手を任されるなど投手陣の柱として成績を残してきました。

2015年頃からはなかなか状態が上がらないシーズンも増えて二軍での調整や中継ぎに回ることが多くなり、2020年シーズンに球団から来期の戦力構想から外れていることを通告されてオフに自由契約選手となりました。

阪神タイガースを退団後はオリックスバファローズへ移籍し、選手兼投手コーチとして活躍しました。主にリリーフとしてブルペンを支えつつベテランの経験値を宮城投手など若手ピッチャーに伝えて投手陣の底上げに大きく貢献していましたが、2022年オフに本人の意向もあり退団・引退となりました。

能見篤史 家族について

家族構成は、能見篤史 子供3人と奥様の5人家族です。子供は長女、長男、次男で構成されており2022年の引退セレモニー時点でそれぞれ長女が中学生、長男が小学5年生、次男が小学3年生の年齢です。

能見篤史の子供が通っている学校について情報が出ているようですが、どうやらデマの可能性が高いようですので気を付けていきましょう。

能見篤史 自宅について

前述のように、子供・奥様と一緒に幸せな生活を送っているだろう能見篤史の自宅についてみていきます。

能見篤史の自宅は公開されていませんが兵庫県西宮市にあるのではないかと言われています。阪神タイガースとオリックスバファローズという関西の球団に所属していたこともあり、実家のある兵庫県から近いところに住んでいるのではないかと思われます。

最後に

今回は球界のレジェンド的存在である能見篤史について、これまでの経歴や家族構成・子供について迫っていきました。球史に名を残す活躍をしてきた能見篤史は現在3人の子供と奥様と一緒に引退後も幸せな生活を送っていることでしょう。

野球ファンからはまたコーチなどで球界に復帰を望む声も少なくありません。また球場で能見篤史の姿が見られることを楽しみしていきましょう。

-選手