今年3月に待望の開幕を迎えて10月でレギュラーシーズンの終わりを迎えた日本プロ野球。2024年シーズンにおいては、パ・リーグは福岡ソフトバンクホークス、セ・リーグは読売ジャイアンツがリーグ優勝を果たしました。
各チームの順位もすべて決定し、低迷したチームによっては監督の退任も発表されるなど明暗がわかれています。
今回はパ・リーグで6位という順位に終わってしまった埼玉西武ライオンズのレジェンドである栗山巧について、これまでの経歴や引退するかどうかに迫っていきたいと思います。
栗山巧について
まずは今回ピックアップする栗山巧の簡単なプロフィールをみていきます。
栗山巧は1983年9月3日生まれの41歳で兵庫県神戸市の出身です。右投げ左打ちの外野手で野球における勝負強いバッティングはもちろん、グラウンド外での紳士的な振る舞いもファンから支持されており同期入団の中村剛也とともに球団のレジェンド選手として長く活躍を続けています。
プロ入り前の経歴について
栗山巧が野球を始めたのは小学生の時で地元の神戸市少年団リーグのチームに所属していました。小学校卒業後はヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」に所属。高校は神戸市の育英高等学校へ進学し、2年生時にはレフトのポジションで春の選抜高等学校野球大会と夏の全国高等学校野球選手権大会に連続で出場を果たします。夏の甲子園ではベスト4まで勝ち進み、5試合で打率.348、9打点を記録する活躍を見せました。高校通算では47本塁打を放っており、2001年のドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受けてプロの世界に足を踏み入れました。
プロ入り後の経歴について
西武ライオンズ入団後の最初3年間は二軍で力をつけていき、4年目となる2005年シーズンから一軍に定着しました。2007年シーズンには100試合に出場し、オフには背番号を1へ変更。
そして2008年シーズンはチームの2番打者に定着しこれまでで自己最多の138試合に出場し、打率.317を記録し最多安打のタイトルも獲得してチームのリーグ優勝及び日本一達成に大きく貢献しました。
その後も何年にわたってチームの中心選手として安定的な成績を残していき2016年シーズンには史上120人目となる1,500安打を達成。そして2021年シーズンには9月4日の楽天戦で、史上54人目で西武ライオンズの生え抜き選手としては初となる2,000本安打を達成しました。
2022年シーズン以降は年齢の影響もあり守備に就かない試合や代打での出場という試合も増えていきました。ただ、チームの主力選手の流出もあり40歳にもなる年齢ながらチームの4番を任される試合もありチームにとっては引き続き欠かせない存在となっています。
栗山巧 引退について
約20年にわたってチームの主力として活躍している栗山巧。同じチームでも様々な選手が引退していく中で、チームのレジェンドである栗山巧が引退しない理由をみていきます。
まだ栗山巧が引退しない理由としては単純にチームの大きな戦力であるからです。
年齢的な衰えで守備面での貢献は難しく、全盛期と比較してバッティングも衰えはしますが、卓越した選球眼と勝負強いバッティングでチームを牽引しております。加えて、若手選手の見本として同期入団の中村剛也とともに練習や試合に対する姿勢でもチームにプラスの影響をたくさん与えています。
最後に
今回は西武ライオンズのレジェンド的存在である栗山巧について、これまでの活躍や栗山巧 引退と絡めて迫っていきました。2,000本安打も達成し野球の成績としてはもちろん一流選手でありながら、プライベートの生活でもファンや子供に対する言動が聖人であると話題になることも非常に多いことで嫌いなファンはいない選手の一人です。
来シーズン以降もチームの中心選手として西武ライオンズを勝利に導いてくれることを期待して温かく応援していきましょう。